黒の男に手を引かれ、

ドアを追っ手に蹴やぶられるとほぼ同時に資料室の窓の外のバルコニーに降り立つ。

驚いた事に男の足音は石の床には響かず、

また、少年の足音も、男に掬われて響くことは無かった。


少年は、思わず口元を抑える。

煙が、こんな所まで来ているとは。


男は何かを考えるように俯き、辺りを見回した。

そして手に握った刃物をしまい、

少年を姫のように抱えたまま立ち上がり、

バルコニーの淵に手をかけ飛び降りた。


少年は思わず腕を男の身体に回したがすでに遅く、驚きに出そうになった声を抑えた。

先程と変わらず足音もせず降り立った男は、少年を下ろし、また周りを見回した。


「……走れるか」


静かに問いかけてくる男の腕を掴む。

…足が震えている。


煙だけでなく、街を覆う炎は既にこの近くまで来ていた。

大きな耳に響いてくる足音。

資料室にいた追っ手も、少年の思った通り下の階にいた追っ手も、こちらに気づいたようだ。

数が多い。


情けない事に、無理だと伝えようにも声が上手く出せない。

先程までの覚悟はどこへ行ったのか。


しかし男は動じず、無表情のまま、また少年の身体を抱える。


「……魔力は?」


少年が握りしめた杖を一瞥してまた問う。

少ないが、まだ残りはある。しかし、何か有意義な事に使えるかはわからない。

少年は顔を横に振った。


「………そうか」


それだけ言い、男は少年の身体を軽々と片腕に抱え直した。

驚きに思わず男の首に腕を回し固く抱きつく。

まだ身体が小さいとは言え、それなりに体重は、ある。それに、少年が身につけている衣装は、決して軽いと言える布量ではないと少年は思う。


前面にフリルレースのブラウス。コルセット。二の腕から伸びる長い、幾重にも重なるアンガジャントのような袖留め。

金の肩章のついた長いマントを纏い、下は後ろが足首ほどまである、リボンとフリル、レースの大量についたバッスルスカート、そしてその下にプリーツのスカートのように見える半ズボン。

靴はプラットフォームとヒールの重たいオックスフォードのブーティ。

花飾りのついたトップハットは、書斎の机に置いてきたようだ。

首にはネックコルセット、手袋の上に王族の指輪をし、半ズボンから伸びる少年の細長い脚には、フリルのついたサイハイのソックスに、ベルトが巻かれている。


これは特に少年の趣味だというわけでも無く、ただ女中や仕立て屋に好き勝手させた結果がこれだったのだった。



「…ソワネ、苦しい。」


首元を絞められ男は少年の名前を呼ぶ。

苦しいという割に表情が変わることは無かったが、少年、ソワネは、思わず腕の力を緩める。

…名を呼ばれたのは、久しぶりだ。

出会った時に一度だけ名乗ったが、まだ覚えているとは思わなかった。


男はソワネから離した手を、腰に巻いた布の下のベルトから、また先程の刃物とは別の、短い柄の無い刃物を数本取り出した。


「……顔を伏せていろ」


言われずとも、男の目から発せられる殺意に、

ソワネは男にしがみつくようにして顔を伏せ目を閉じた。

男は周りを見渡し、走り出す。


追っ手の待て、という怒鳴り声と足音は、

何かが空気を切る音と共に止む。


王城を囲む庭の木々に紛れるようにして、

ソワネを抱えた男は燃え盛る城下町へと向かって行った。