※表紙絵は後日





森のさざめきと、鳥の声に目を覚ます。

王城で聴いていた朝の音と似ていたが、それよりももっと、慣れない色々な音が混ざり合っていた。

小屋の奥の部屋、自室のベッドとは違い比べようもない程硬いベッドの上で目を覚ましたソワネは起き直り、小さいサイドテーブルに置いておいた眼鏡をかけ、自分の身体に丸まるように寄り添った黒の男…レノの方をそっと見やった。

ベッドは1つしかなかったが、自分は立ってでも寝られるからと言っていたレノを、頼んで一緒に寝てもらったのだった。
狭かったが、命の恩人に立ったまま寝てもらうなど出来なかった。

服装は、流石に上着は脱いでいたが、武器や鍵束などがついたベルトなどは全てそのままであった。
腰の辺りが痛そうだと思ったが、いつでも戦えるようにしたい、と言って聞かなく、立って寝られる男にそんな物は関係ないのだろうかと諦めて放っておいた。
幸い夜中に戦うような事になる事も無く、現実に、そのまま寝たようだ。

そのレノ本人は長い前髪に隠れ上手く見えないが、未だ、固く目を閉じ、腕を組むようにして眠っている…ようだ。

寝息すらも聞こえず、息をしているのかもわからず心配になり、確かめる為に顔を近付けた瞬間にその目が開いた。

「…近い」

驚き飛び跳ねるように身を離した、その拍子にベッドからずり落ちそうになった所を、起きたばかりとは思えない速さで、腕を掴まれ止められる。

「す、まない」

レノはそのまま、ボサボサになった前髪をかきあげ、眠たそうに目をこする。
そのままにして眠った事で乱れかけていた目元の化粧が更に広がり、目付きの悪さに拍車がかかる。

「…朝は苦手なんだ……」

そう、低く掠れた声で呟き、半ば閉じた目で呆けたようにソワネを見つめる。
ソワネは腕を掴まれたまま、動く事も出来ず、見つめ合うのも可笑しく視線を泳がせた。

…否。
最初に出会った時は穢れに隠れ、
昨晩は暗がりで確と見る事が出来ず、こうして陽の光に照らされてやはりと気付く。
乱れきった化粧でも隠せぬ程、この男は、いやに顔が整っている。
そのどろりとした目は、子供であるソワネには言い得ない感情を呼び起こされ、視線を泳がせずにはいられなかった。

「……レノ、もう少し、寝る、か」

今にもまた眠りそうな程ぼんやりとした目に思わず問う声が、変に上擦る。
しかしレノは、首を振りやっとソワネの腕を離す。

「…いや、もう、動く……」

そう言いながらも、俯いて顔に手を当てる。
恐らく、とんでもなく眠い、といった所なのだろう。

「……レノ、何か、出来る事はあるか」

顔を覗き込んで見るが、指の間から睨まれるように見つめられついこちらも頭ごと俯くように目をそらす。
窓から差し込む日の明りに照らされても、その目は相変わらず深い夜のようであった。

レノは暫くして、溜息とも欠伸ともつかぬ長い吐息をもらしてベッドを降りた。
寝室の隅にあった小さな机にかけた上着を掴み、ふらふらとリビングの方へ出ていった。

ソワネはどうする事も出来ず、自分も降りてベッドの毛布などを正し、同じく机にかけたケープを持って、レノの後を追いかけた。



キッチンのシンクで手と顔を洗うレノの背中を見つけ、自分もレノと同じく、椅子にケープをかけ、顔を洗うべくシンクへ向かった。
130センチメートルを少し超えた程度のソワネの身長ではシンクは少し高かったが、それは王城でも同じで、召使いに手伝われるような、また踏み台を使うような年でもないと普段から背伸びをしていたソワネは慣れたように手足を伸ばして顔を洗った。
レノは何も言わず少し横へ移動し顔を拭き、頭を振って雑に前髪を下ろし、ソワネが終わると、流石に蛇口には届かないソワネの代わりに水を止め、少し化粧の黒のついたそのタオルを差し出した。
化粧は、特に唇の黒は取れきれていなかったが、特に気にする様子も無かった。

そのまま、ソワネに座っているよう促し、昨晩の残り物を火にかける。
即席で作った野菜と麺のスープのような物で、王城の食事に比べれば何とも言えなかったが、昨晩のソワネには、この上なく美味に思えた。

「……少し外へ行く。何処にも行くなよ」

そう言って、レノは鍋を弱火のまま置いて小屋を出て行ってしまった。

何処にも行くな、などと言われても、ソワネには何処にも行く場所など無い。

そういえば、これから、どうするのだろう。
今日はもう動く、と、昨日は次の街で服を売るなどと言っていたが。
果たしてそうして、どうするのか。ただ逃げて、その先は。王国はもう無い。

ソワネは首にかけたチェーンに通された、王族の指輪を撫でる。

この指輪も、統べるべき王国が無くては意味がない。
王となるべくして生きてきた、
……このソワネ・ルクシオウラ・フィネクスに、生きる意味など…。

そんな事を考えているうちに、また目が潤むのを感じる。
昔はよく父に泣き虫だなどと言われたが、まさか今になってこんなにも泣くとは思わなかった。
もう涙は枯れ果てた物だと思っていたのに。

泣いてばかりいられない。
そう思う程、視界が揺れる。

「…ソワネ」

いつの間に帰ってきていたレノに声をかけられ、驚きに思わず声が出そうになった。
今度は椅子から転げ落ちそうになるなどという事は無かったが、尾の毛が思い切り逆立ってしまっている。
いつもならスカートに隠れているのが、今は剥き出しで、少し恥ずかしい。
ソワネは口に手を当てたまま、俯いた。

レノは何も言わず、森で摘んで来たのか、腕に抱えた幾つかの林檎をテーブルに置き、鍋の様子を見にキッチンの方へと戻った。
林檎は外の井戸の方で洗ったのか、汚れは無いが少し濡れている。

昨晩使ったボウルを持って、戻って来る。そして、腰のベルトから小さめのナイフを取り、椅子に座り、慣れた手つきで皮を剥き始めた。
未だ眠たそうにぼんやりとした様子であったが、手捌きはしっかりとしたものだった。

ソワネがじっと見ている事に気付いたのか、レノは手を止め、剥き終わり小さく切った林檎を一切れソワネに差し出すかと思えば、そのまま食べさせるようにソワネの口に押し当てた。
思わず口を開いたが、ソワネの小さな口にはその一切れは少し大きく咀嚼に時間がかかる。

皮の青いその林檎は、酸味が強く、ついと目を細めてそれを頬張るソワネの顔を見て、レノは小さく声を洩らして笑った。
見た目などに依らず、この男は人をからかうのが好きなのかもしれない。

やっと飲み込んだソワネはレノを睨む。

「…笑うな」

昨晩と違い、すぐに笑みを引っ込める事もなく、ニヤニヤとした口元を長い前髪で隠すように下を向き作業に戻る。

「…悪い、もう少し小さく切れば良かったな」

言葉では謝っているが、どうにも謝罪に聞こえない。

しかし、王城の中では配下には畏まられ、同じ王族の者には子供だからと接する事も少なく、友人などを作る事も出来なかったソワネには、こうして気兼ね無く触れられる事は、父が死んで以来一度と無かった。
手で綻ぶ顔を隠したが、尾が制御しきれずにゆらゆらと揺れるのを感じ、その手で尾を抑えた。

やはり、恥ずかしい。

赤くなった顔を伏せるソワネを、レノは長い前髪の合間から見つめていた。

「…昨日渡したブランケットでも巻いておけ」

言葉の端ににやけたような表情を感じソワネは睨むが、また口に林檎を一切れ突っ込まれ、口をつぐむしか無かった。
レノは後ろで沸騰し始めた鍋を止めに行き、それをもう1つのボウルに注ぎ、スプーンと共にソワネの前に差し出した。
レノ本人は、ボウルをまた出して洗うのが面倒だったのか、そのまま鍋ごとスプーンを持ってテーブルの方へ戻ってくる。

訊きたい事は沢山ある。
しかしそれよりも、まずは腹を満たすべく、ソワネは素直に食事を始めた。




つづく