熱い。
燃え盛る城下町は、秋の肌寒い夜だとは思えぬ程に暑かった。
既に火が移り、燻っているだけの所まで来たが、
それでも熱気は収まってはいなかった。
…城下町の家々は、殆どは石で出来ていたが、
今やそれも焦げて黒ずみ、石以外の部分は全て焼けてしまった。
今自分を抱えているこの男に、「見るな」と上げた頭をまた伏せられるまでの一瞬で見た限り、
城下町の人々も、……全て、今や灰と成り代わっていた。
ただの火薬で短時間でここまで出来るとは思えない。
自分の魔力でも、例え万全の状態で全てを使ったとしても、ここまで燃やし尽くす事は出来るように思えなかった。
自分を追いかけて来たあのフードの男達には居なかったが、この王国を襲った、あれの仲間には、かなりの上級魔法を使う者がいるようだ。
そう考えながら、
この男に抱えられながら、目を閉じている事しか出来ない自分が忌まわしい…。
息が詰まるのは、熱気の所為だけでなかった。
男は、ソワネを抱えたまま、追っ手を退けながら、この炎に焦がされた街を走り抜けても、息が荒む事は無かった。
比較的被害の少なそうな一軒家を選び、そこへ逃げ込む。
扉は既に役割を果たしておらず、ただ灰の積もった枠があるだけだった。
それを跨ぎ、住人の亡骸を一瞥する事も無く、男は燻りも冷めて来たリビングの床にソワネを下ろした。
「…動くな」
それだけ言い、男は何かを探すように部屋を1つ1つ回って行く。
ソワネは木材だけで無い、何かが焼けた匂いに噎せながら、それが何かを想像せぬよう、男の姿を目で追うも無く、ただ己の足の下にある、焼けたカーペットの残骸を見つめるだけだった。
そして、己の身体をぎゅっと抱き締めた。
不意にまた、涙が頬を伝うのを感じる。
何故………こんなにも酷(むご)い事を。
そうしているうちに、家探しを終えた男が、何着かの洋服と、少し焼けたトランクケースを持って来た。
ケースを床に置き、洋服をソワネに差し出す。
「……全部脱げ。…これに着替えろ」
戸惑い男を見つめるソワネに洋服を押し付け、男はまた何かを探しに玄関の方へ向かう。
思わず男を目で追いかけるソワネに、漂う匂いの根源を見せぬように立ち止まり振り返る。
「ここから逃げるんだろ。…そんな物を着ていたら直ぐに見つかる。…それに、邪魔だ。……それと…」
何か言いかけて、ソワネから目を逸らし、少し考えるように俯く。
「…いや、今はそれだけでいい。早くしろ」
確かにそうだ。
ソワネの着る衣装は、デザインなどだけでなく布地なども全て、王族用の高級な物となっている。
ここから逃げたとしても、他の街で王族だとバレてはどうしようもない。…彼奴らの仲間が、いないとも限らないのだ。
それに、体力が回復し走れるようになっても、歩くにしても些か邪魔であったこの重たいバッスルスカートは、かなりの障害になるだろう。
…王城で逃げ回っている間は、それどころでなく気にしてもいなかったが。
男に渡されたのは、布地こそはソワネが普段着ている物に劣るものの、何処にしまってあったのか、殆ど炎の害もなく、またこの熱気の内から出た後に考えられる肌寒さに耐えられる程度には丈夫そうであった。
女物なのか、フリルのついた可愛らしい白のブラウスに、黒のショートパンツ。膝丈の靴下は少し焼けていたがまだ履けるもので、更に上着として、刺繍がされ、大きめのフードと、後から飾りとしてつけたであろうフリルのついたケープ。
そして、靴はソワネが履いていた物と似た、少し質の悪い皮のブーティを、黒の男が玄関から持って来た。…いや、玄関の惨状からして、もしかしたら他の家から持って来たのかもしれない。今となってはその持ち主が誰かを、どれか、を考えるのも億劫だ。
「…脱いだ服はそのケースに入れろ」
ソワネは困惑した目を男に向ける。
この衣装を持っていては、着替える意味など無いのではないか。
「……次の街で売る。俺は盗賊だ、混乱に乗じて盗みを働いても不思議じゃない。…何処で手に入れたのかなど、教えなければ訊かれる事もない。」
益々、わからない。
ソワネは渡された服をテーブルだったであろうものの上に置き、服を脱ぎ始める。
脱いだものは言われた通りに、ケースを開けて入れていった。きちんと折る暇は無いが、無意味に場所を取らぬように丁寧に重ねていく。
…この男と出会ったのは、数年前。
王国の城下町に、万屋としてやってきた商人に、召使い、否、奴隷として、数人の男女と共に売られていた。
ボサボサの黒い髪に、深い闇色の目。安い布地の、服と呼べるかどうかも怪しい物を着て、今のように化粧はしていなかったが、目の周りは黒ずみ、肌色も悪く、どの様な扱いを受けていたのかを物語っていた。
数人の男女もこの男も、角も羽も尾も無い、この世で最低族とされるヒトの身であったように見えたが、それでも、命あるものをそのように扱う事がどうしても許せなかった。
ソワネは子供の身で怒りを抑えられる筈もなく、この男も、数人の男女も、全てその場で解放させた。
その後商人がどうなったのかは知る由も無かったが、解放された男女は城下町に居着くか、王城に働きに来てくれた。またはわざわざ礼を言いに来た後、故郷を探して旅立つ者もいた。
その中で、この男だけは唯一、解放したその日から、この日まで姿を見る事は無かった。
その男が何故この日に、
漆黒の衣装に身を包み、盗賊と言って、ソワネを助けに来たのかがわからない。
やはりあのフードの男達の仲間なのかという考えが頭を過ぎったが、どうしても本当にそうだとは思えなかった。
…そう思いたいだけなのかもしれないが。
最後に、手袋を脱ごうとして、左手の薬指に嵌めた王族の指輪に手を触れる。
自分が、フィネクス王国の王である事を示す、今や唯一の印。
これを持っていては、王だとわからずとも王族だという事はわかる。これも売るのかと、玄関近くの壁に寄りかかりあらぬ方向を見つめている男の方に目を向けた。
それに気付き、上着の内側のポケットをごそごそと探る。
「……それは売らない。これに通して首にかけていろ」
ソワネに近付き、その中から出て来た銀の細いチェーンを、ソワネに差し出した。
いいのか、と受け取るのを躊躇うソワネの頬を、男は優しく撫でた。
「…お前はこの国の王だ。それすら失くしてしまったら、…お前の帰る場所が失くなる」
…それはどう意味だ、
それよりも何故、王だという事を知っているのか。
言葉にならぬ問いは吐息となって消える。
着替え終えたソワネを男はまた抱え、ケースを持って逃げ込んだ家を出た。
閑散とした街を、王国の外の森の方へと駆けて行く。
かつて自分が歩いた、国民が歩いた、焼けた石畳の道を、小さな王は、揺らめく瞳でただ見つめていた。
続く