※表紙絵は後日





腹も満たされてきた頃、
ソワネは数ある疑問を口にする事にした。

まずは、何よりも訊きたい事。

「レノ、…これから、どうするつもりなのだ」

食事の音だけが響く静寂を打ち破るのは少し勇気が要たが、それでも知りたかった。
次の町、と何度か言っていたが、フィネクス王国領はこの森と城下町以外は殆ど砂漠で、他の町や村は無い。他の領域、国に、向かってまで、一体何をするつもりなのか。

レノは手を止め、黙ったまま唯此方を見つめる。
そして、少し口角を上げて口を開く。

「…お前が訊きたいのは、俺がお前をどうするつもりか、だろ」

嫌な笑顔だった。
闇色の目は全く笑っておらず、ソワネをからかった時の笑みとも違い、昨晩見せたあの微笑みとは真逆の、背筋が凍り付くような…笑み。
美しさは、恐ろしさを増幅させると聞いた事があるが、それはまさに今のこの男のその笑みに当て嵌まるのだろう。

この男とは殆ど面識も無く、素性も知れない事を思い出しソワネは身体を強張らせる。

数々の武器を常に持ち歩いている事も。

しかしレノは、何もせずただ目を逸らした。

「…安心しろ、どうもしない」

”殺すならとっくに殺してる”とでも言うような雰囲気を感じた。
確かにそうだろう、が、それでも危険な人物である事に変わりはなかった。こんなにも簡単に信用するべきではなかった。

…それでも、ソワネにはもはやこの男しかいない。信用するしかない、何より信用したいという思いが新たな葛藤を生む。

「まずはこの辺りから出来るだけ離れる。此処ではいずれ見つかる。その後は…」

レノはいつの間にか元の無表情に戻り、淡々と告げる。
しかし言い終える前に、ソワネは口を開く。

「まだ、あの男たちが探していると思うのか?」

国は滅んだも同然だった。
ソワネは逃げたが、今のソワネには追いかけてまで殺す程の価値があるとは思えない。
他国の人間には、混じりの王族とはいえただの子供と同じ。
…この指輪が真の王の指輪である事は、フィネクス王国の王族にしかわからない事だ。

「……あいつはお前を殺したいんだよ」

疑問の表情を浮かべるソワネに、レノは目を逸らしたまま、例えばただのヒトの身であったなら聞こえなかっただろうという程小さな声で呟いた。
ソワネは思わず少し身を乗り出す。

「あいつ?お前は、何を知ってるんだ」

王の位置を狙っている。
それだけなら該当する人物は容易に想像できるが、国のない今ではその権限は意味がない。
何か重大な事を知っているわけでもない。
子供だからと、仕事も表面的な事しかやらせてもらえていなかったのだから。

レノは変わらず目を逸らしたまま、微動だにせずに言葉を紡ぐ。

「…言えない。」

「何故?」

「……お前には、…言える様な事じゃない」

今迄も幾度となく、その言葉を言われた記憶が蘇る。
レノと名を付けたこの男に対する恐怖よりも、荒唐の怒りが勝ちソワネは思わずテーブルに手をついて立ち上がった。

「私はもう子供じゃない」

声が少し荒む。
本当は、子供である事は嫌でも分かっているが、それでも、もうそこまで幼くはないのだと…思いたい事も、
その言葉がレノに向けられた言葉でもない事は分かっていた。

レノは動じず、一瞬の間を置いて、ソワネの首にかけられたチェーンに通した王族の指輪を掴み自分の方へ引き寄せた。
ソワネの小さな身体では、足をついている事が出来ず自ずと、つんのめるようにテーブルに乗り上がる事となる。

「お前はまだ子供だ」

今度は目を合わせ、重く低い声で静かに言い放った。

至近距離のレノの目はやはり、昨晩見たあの煌めきを宿さず、何処までも深く暗い闇に見えた。

ソワネは小さな頃から、暗闇を怖いと思った事は無かった。しかしこれは、今迄に見た闇とは比べ物にもならなかった。
…夜が怖いのは、こういう感覚なのだろうか。

種々の思いが入り混じり、ソワネは言葉に詰まる。
視界が滲み思わず下を向こうとするが、指輪を離した手がそれを許してくれなかった。

何かを言いかけたように口を開いたレノは、何も言わず代わりにソワネの顎から手を離し席を立つ。
そしてテーブルの上に乗ったままのソワネの脇の下に手を入れ、持ち上げてそのままテーブルに座らせた。

「……俺が、言いたくないだけだ。」

変わっていないと思っていたレノの表情は、よく見ると、眉が少しだけ、苦しそうに寄せられていた。

「どうして…」

疑問を思わず呟きその顔に触れたが、その問いは答えられる事無くただその手を退けられ、先程の続きを、同じ言葉を繰り返すと共に紡がれる。

「まずはこの辺りから離れる。その後は、お前がどうしたいかによる。…どうしたい?」

そんな事を、問われても。
思いつく事は、1つしかなかった。

「…国の、仇を取りたい……」

王国の、王として。
ただ滅ぼされたままに出来なかった。
ソワネを追ったあの男たちだけでやった事ではない事は知っていたが、先程のレノの言葉からしてただ突発的にやった事でも無く、上に立つ人間がいるであろう事も。
例え討った所で戻ってくる事は無いが、
…自分を殺したくてやった事であれば尚更、何も関係なく巻き込まれた国民達の無念を晴らしたかった。

しかしそれでは逃げる意味など無いと、諭されるのかと思ったが。

「…その後は?」

息が詰まり下を向く。

答えられない。
…何も、無い。

確かに、国領の外の世界を、本の中で見た世界を見て見たいなどと思った事はあるが、
それは……。

「……何にせよ一度離れた方が良い。…あの数は俺でも無理だ。お前の魔力も、回復させる必要がある」

「…魔力は」

既に時間経過と、休んだお陰でいつものように使える量までは回復していた。
しかしレノは、ほくそ笑むようにソワネの頬を撫でて言う。

「お前の魔力はこんな物じゃないだろ」

……王城の者でも知らぬような事を、何故この男は知っているのか、と、潤んだ目を見られるのも構わずその顔を見上げた。
言葉は喉が詰まり上手く発せない。
しかしレノはそれを分かっていながらも、答える事なく続けた。

「情報を仕入れられる街を知っているから、まずはそこを目指す。」

ソワネはまた、俯く。

そして、レノは、少し考えるように、
…否、覚悟を決めるように少し下を向き息を吸い、
昨晩名付けた時と同じようにソワネの左手を取る。

「…ソワネ、」

名前を呼んでも目を合わせないソワネの顎を撫でるように持ち上げた。

「俺は誰がやったのかは、知っている。お前が仇を取りたいなら、俺が取る。お前は、それが終わった後に、何をするのかだけを、考えていて欲しい」

左手は、今度は口付ける事なく、ただ親指でその指輪のあった位置を撫でていた。

「…何故?」

また、眉を寄せる。
それは、苦しげな、憤りにも、哀しみの表情にも見えた。

「お前はまだ、子供だから」

ソワネを見つめる闇は、初めて寂寞とした夜の海を思わせた。
不意に、涙が頬を伝う。

この男は、今迄一体、どんな人生を歩んできたのだろう。
自分が知っている事の少なさに、自分の事とは関係の無い所まで感興が広がる。
奴隷として売られていた事しか知らぬが、それだけでも十分に、悲壮な事である。しかしそれだけではない、そんな物じゃないと、その目は訴えていたような気がした。

眼鏡を外し、溢れる涙に目を拭う手を止められ、そのまま頭をその胸に当てられまた、抱き締められた。

「…我慢するな」

しかし、昨晩既に泣き腫らしている。
それまでとその後も幾度となく涙が流れた。

「……泣いてばかりではいられない」

王として、…王の子供として、何度も、言われた言葉。
突っ掛かる声はレノの服に吸われくぐもる。

レノはソワネのその薄紫の髪を梳くように撫でながら、諭すように、言い聞かせるように、大きな耳の元で言った。

「良いから泣きたいなら泣け、…子供なんだから。」



堰を切ったように泣き出すソワネを、レノは強く抱き締めた。
今度は少しだけ、子供らしく声を上げて泣いていた。




つづく