一章の三






あれから、数日経つ。

その間一度も、男は猫に会わなかった。
探しもしていない。

何か苛立ちのようなものが、心を占める。



………男はただ、獲物を追った。

仕事、依頼。
だがそれは確かに苛立ちを抑圧し、解放、しかし終わった後にはまた、
気が付けば、猫が、あの紅の髪と目の色の男が、その闇に光る大きな目が、
思惑を占める。



…仕事に関して、男は罪悪感は感じない。
死と然るべき相手のみを獲物の依頼しか受けない。

男は、狼だ。
狩られるべき相手を狩っているだけ。
しかし、決して生きる為ではない。

死ぬ為だ。












…猫もまた、男の事を考える、
その頻度が増えた事には気付いていた。

あの目、声、あの日自分に触れた、手の感触、力の強さ、そして………
全て、思い出すだけでふわりと心臓が跳ねる。熱が篭る、気がした。

いつしか男の事を、もっと、知りたい、見たいなどと思うようになった。
…にも関わらず、男は姿を見せず。つまらない、と猫は男の影を探しては呟いていた。

ただただふざけた気持ちで誘っていただけだったのに、何故ここまで本気になりかけているのかは、猫にはわからない。そもそも気付いてもいないのだろう。









……男の、匂いがした。

この街外れの悪臭とも言えるにおいの充満する中に、微かに刺青の男の匂いを感じた。

そして、音。
夜のざわめきに微かに聞き取れた、あのブーツの底が石畳を踏む、枯れた路地に響く音。

間違いなく、近くにいる。


今度は、猫が男を追う番となった。



大通りを抜けて、端の方へ。
何度か客に呼ばれても、無視する程に追う事に集中していた。
人気の無くなる毎に荒廃していく石畳と、廃屋。
近い。

猫は早歩きをやめいつものようにゆっくりと、足音を消して、恐らくここにいるだろう行き止まりの路地裏へ歩く。

……刺青の男だけでない。
もう一人、いた。
が、それは空気を切るような何かの音と共に血の匂いへ変わる。


角を曲がったその瞬に、視界に入ったのはサイレンサーの先。
刺青の男に、先程発砲したばかりの銃を向けられていた。

こちらをギラリと睨む目に、猫はまたなんとも言えない昂りを感じる。
唾を飲み込む。

一方男は、猫とわかった途端に唸るように銃を投げ捨て、

「こっちに入ってくるな」

呟く。
そしてまた、立ち尽くす猫を置いて闇に消える。


しかしそれも、猫は遠回りで追う。




あの路地裏から、そう遠くはない、
この辺りの中で最も廃れた一角まで来て、どこからともなく湧き上がる腐臭と闇に紛れて見失った。

ならせめて音で、と立ち止まり耳を澄ましたと共に、真後ろに、あのブーツの音。
そして、先程と同じ黒い手袋をはめた手に、口を塞がれる。

猫は、驚いたように身を強張らせる。

男の手からする血の匂いに噎せる、無言。

「……てめえが証人になるだろうが」

それだけ呟くと、返事を待つように、手を緩める。

しかし何も言わぬ猫に、痺れを切らしたのか。完全に手を退け、

「………どうしてもっつうんなら、待ってろ」

とまた呟くように言い、
離れ、近くの廃屋へと入って行く。


猫は、去る男に何も言わず、身動きもせず、男が廃屋の階段を登り始めたと同時に、
それまで息を止めていたかのように荒い息を洩らす。

それを整えようにも、鼓動も速く。気道が締め付けられるかのような感覚…
そして、男が触れていた唇に手をあて、その感触、残る匂いに、更に熱が溢れた。

猫は、静かに口元を歪めてわらう。


…しかし、言われた通りに待たれど、男は降りてくる気配は無い。
むしろ、耳を澄ますが、足音は遠ざかる…

またか、とつまらなそうに唇を尖らせて、また、追う。
ちょうどここから出たかった所だ。これ以上こんな所にいたら、鼻がおかしくなってしまう…と、思いながら。





猫が元いた大通りの近く、客引きの美女が数人並ぶ路地。
そこに立ち並ぶ建物の一つの屋根に男はいた。

猫が姿を現すと、タバコだろうか。ポケットから掌大の紙の箱と、金属の…ライターだろうか?を取り出す手を止めて、猫の方を見る。

「……なんでいんだよ」

猫でなければ聞き取れないだろう程の小声で明らかに不機嫌そうに唸る。

それも気にせず、むしろ楽しげに男に近付き、ニヤニヤしながら、

「…待ってろ、って言ったのそっちだろ?」

と首を傾げて言う。

男は猫を睨みつける。
そして何も言わず目を逸らし、先程の箱からタバコを取り出すとそのまま吸い始めた。

それを猫は、静かに眺める。




ただただ無言で喫煙する男を眺めるのに飽きたのか、猫は更に男に近付き、
男の髪をいじりだす。

銀の、はねた短い硬い髪。
犬…いや、狼の毛のようだ。

男の周りをぐるりと回る。
耳の上にヘアピンを二本、見つけ、つけそうにないのにと不思議に思う。

「…このピン、なに?」

いとも楽しげな顔をして訊き、それに触ろうとする。

しかし、
男に煙草の煙を顔に吹きかけられた。
すぐに離れたが、思い切り吸ってしまい咳き込む。

…男は、無意識に口角を釣り上げる。

息を整えながら、
猫は男を見上げ苦しげに問う、

「…それ、どういう意味かわかってんのかよ」
しかし言い終わらぬ間に、

男は猫の頭を掴み、引き寄せキスをした。
驚き開けたままの猫の口に舌を入れ掻き回す。
ディープキス。

離れた後も目を見開き、荒い息のままの猫の口の中に指を突っ込みその舌を引っ張り出す。
先程のキスで触れた異物。
猫の舌の先に、丸い銀のピアス…。

「…外せ」

手を離すと、
猫は惚けた顔を、またいつものニヤニヤとした顔に戻して、少し横を向いてピアス…いや、強いて言うならイヤリングのような物で、穴を開けず簡単に取り外せるように、挟むだけのそれを外した。

「………すんの?」

そして依然ニヤニヤしたまま、タバコを消した男に問う。

「…………だったらこんな所よりさ、もっといい場所、あるけど。」



猫が招く。
向かうはここに近く、いつもの大通りの先、入り口のピンクのネオンが光る、
ストリップバー、その裏にある、小さな部屋。











つづく└('ω')┘