日は既に登っていた。
窓から差し込む日差しはカーテンに吸収される。
暗い色の部屋は、朝方と思える程までにしか明るくはない。
これは、いつも通りだった。
しかし、毎朝起こしに来る白い猫は、
部屋の隅から動かない。
そして…………
まだ、いたんだ……
そう思いながら、猫は目の前の背中を見つめる。
自分の部屋に、
しかも同じベッドの上に、刺青の男。
はじめは状況を把握できなかった寝ぼけた頭を、覚醒させるには十分だった。
昨日。
ここへ連れてきて、そのまま……。
朝にはとっくにいなくなってるものだと思っていたのだが。
(……まだ、寝てるのだろうか……。)
起こさぬようにそっとベッドから降りて、部屋の隅に隠れて鳴いている白い猫…
「…ミケ、出てこい」
…ミケの方へ歩き、
餌をやろうとして、猫は首筋に走る痛みに手を止める。
痛む場所を触ってみれば、…歯型。
記憶を辿っても、あり得るのは一人しかいない。
しかし、最初の時と同じく愛撫はなかった。それどころか、ほぼ猫自身の身体に触れてこようとさえしてこなかった。
だとすれば…いつ、これは寝た後だろうが。だが、何故………。
考えても仕方ないだろうと、
そのまま、紅い紐パンのみを履いた起き抜けの状態で、
ミケに餌をやる。
つま先立ちの裸足で歩き回る足に鳴きながら絡みついてくる白い猫は、頭に走る三色の線の模様から、ミケと名付けられた。
「にしても痛ぇなー、これ…」
首の痕を摩りながら、呟く。
…思い返せば一度目より、優しかったような気もする…。
そうしているうちに、
背後のベッドの上で何かが蠢く、シーツの擦れる音がする。
餌を食べるミケの頭を撫でながら振り向くと、
刺青の男は猫の方を見向きもせず、眠たそうに床に落ちたタバコの箱とライターを拾い上げて立ち上がり、
外へ出ようとドアに手をかけた…
ところに、ドアが外から開かれた。
「コウに……ぃ?」
ドアを開いた主は、
え…、と幼い声を洩らし目を大きく見開いて男の顔を見上げている。
男もまた、予想外の客人を暫し見つめる。
ふわりとした茶、黄、茶、と段になった色の髪をツインテールにし、
フリルやらリボンやらのついた少女趣味の服を着た、
十代半ばか、後半だろうか?まるで美少女のような……顔立ちだが、どこか違和感。
「………退け」
しかしそんなことは刺青の男にとってはどうでも良い。今はただ外へ出てタバコが吸いたいらしい。
ビクッとして横に飛び退く…娘の横を抜け、猫の部屋の外壁に背中を預けてタバコに火を点ける。
その姿を眺め、睨まれるのに目を逸らし、本来の目的を思い出して、まだドアが開いたままの猫の部屋の中を覗く。
そこに、ミケを抱えた猫が出てきた。
…ほぼ全裸のまま。
「あれ?りお、どうした」
今まで見てきたようなにやけ顏だが、声は幾らか優しい。
ミケを撫でながら、娘…りお、に話しかける様を男は見つめる。
「あ…いや、朝だから、起こしに来たんだけど」
りおの視線は猫と、刺青の男とを行き来する。
「ああー。おはよ…あれ、何でもう着替えてんだよ?」
「…これ、新しいやつだから、慣らしとこうと思って…」
見つめられているからか、二人の会話はどこかぎこちない。
りおの方は、恐らく男の事が気になるから、であろうが。
「……あのさ、コウ兄…」
その先は、聞こえない。
猫にしか聞こえないであろうほど小さな声で話しているのだろう。
『コウ』…………。
その名前は、先程も聞いた。
もしかしなくとも、…猫の名前なのだろう。
醒めた頭に、刻み付ける。新しい情報。…最も、ニックネームかもしれない名前を知った所でどうしようもないが。
そしてこの…娘は、恐らく…。
猫は、…コウは、りおに訊かれたであろう事の答えを、背伸びをしたりおに耳打ちに伝える。
…瞬に、その顔が少し赤く染まり、斜め下を向いた。
それを見ていとも楽しそうに更ににやける、猫。
しかしそおっと吹く風に身震いする。
「…あー、寒いから中入ろうぜ」
「…いや服着ろよ…」
りおの顔は赤いまま。
二人は猫の部屋へ、…ドアを閉める。
その際にもりおは、細めた目を男に向けた。…いや、男を、睨んだ。
しばらくして、タバコも後少しでフィルターまで灰になるという頃に、
バーのある方向、男の向かいの方向から、
また一人、やってきた。
長い、長い、白く光る髪を緩く簪で留め、東洋の着物を身につけた、
目は細く、肌も白く…光の角度では緑がかっても見える、蛇のような顔をした、身長の高い、男。
左の頬にあるは淡いピンク色の花の…刺青だろうか。
表情は…笑っているかのように、口角は上がっているが、どこか冷たい。
蛇は、男の近くまで来てやっと、細めた目を開いた。
その目もまた、まるで蛇のように丸く、ギョロリと刺青の男を見つめる。
少ししてまた目を細め、口を開いた。
「……へえ、君が…最近、うちの猫がお世話になっている…人だね?」
声はガラガラと嗄れている。
「……………さあな」
蛇の口は相変わらず笑っているようだが、
目は男を睨む。
「………あの子が一目惚れする位だからどんなもんかと思ったら……」
「……ああ?」
そしてまた目を細めた笑顔に戻る。
「…ううん、あの子君が好きみたいだから、一度会ってみたかったんだけど」
「…………てめえはなんなんだよ」
男はイラついたように、燃え切ったタバコの先を壁で潰してポケットに突っ込み、二本目を出した。
そして…
「…あれ、お兄?」
蛇が口を開く前に、猫の部屋のドアが開いた。
中からは恐らくミケ、の毛をふわりと広がったスカートから払うりおと、
服を着た…といってもパーカーだけだが。猫が出て来る。
「お兄までなんで…」
そこまで言って、猫はまだ男がそこにいることに気付き男を見て口を閉じる。
「…………んだよ」
男は低い声で唸るが、
猫は何も言わず、目を逸らす。
今迄になかった、緊張の緩みきったような、いや、素とも言えるだろう、
…まるで慣れ親しんだ家族の元にいる猫のような、笑顔は、
段々ぎこちなく、段々消えていく。
(………なんなんだ)
接する態度や、顔つきから見ても、
恐らくこの二人はこの…コウという人物の家族のような物に当たるのだろう。
二人がこの蛇を『お兄』と呼ぶ所からしても。
となればこの二人がコウの…………。
あまりにも似ていないから、血は繋がってはいないだろうが。
刺青の男はじっと三人を観察するように、見つめる。
他愛のない世間話をしているように思えるが、やはり男がその場にいるからか、
…昨日の夜からずっと、男の前でも、自分の素が出ていたことに気付いたのか、コウは一人ぎこちない。
りおはもはや警戒を解いたように、男のことは全く気にしていない。
…蛇に関しては、先程と全く変わらない。
そのうち蛇は猫を呼び、
二人は男の横を通って部屋の裏へ行く。
…男に、は勿論、りおにも聞かれたくない話があるのだろう。
男は空虚を見つめ、煙を吐く。
りおは視線を泳がせ、
部屋の壁に背をもたれる。
男を少し見ては、逸らすを繰り返す…。
つづく└('ω')┘